無限とは何か

無限という言葉は、人間にとっては神秘的な言葉です。この言葉を聞くと人間は思考停止に陥る傾向があります。しかし、この論考では冷静に議論したいと考えます。そのためには数値化するのが一番です。まず、無限の大きさの数は存在するのかということを考えます。自然数と生命で述べたように自然数は全ての生命の認識の基本です。その上で、現代数学の一般的な立場との整合性を考えると、ペアノの公理から始めるのが妥当です。数を構成する場合、最初にペアノの公理を用いて自然数を構成するのが普通ですので、以下にペアノの公理を示します。

  1. 1 は自然数である
  2. 任意の自然数 a に対して、a+ が自然数を与えるような右作用演算 + が存在する
  3. もし a, b を自然数とすると、 a+ = b+ ならば a = b である
  4. a+ = 1 を満たすような自然数 a は存在しない
  5. 集合s が二条件「(i) 1 は s に含まれる, (ii) 自然数 a が s に含まれるならば a+ も s に含まれる」を満たすならば、あらゆる自然数は s に含まれる。

ペアノの公理の5番は数学的帰納法の正当性を保証します。ペアノの公理を認めてしまえば、無限の大きさの自然数がないことは、数学的帰納法で簡単に証明できます。

  1. 自然数1 は有限である。
  2. .自然数 n が有限であれば、自然数 n+1 は有限である。
  3. 全ての自然数は有限である。

このように、数学的帰納法によって、無限の大きさの自然数が存在しないことは明らかです。ここまでを認めると、有理数は自然数の比ですので、有理数も有限の大きさとなり、実数は有理数の切断ですので、実数も有限な実数しかありません。つまり無限の大きさの数は存在しないことは明らかです。
しかし、ペアノの公理によれば、いくらでも大きな有限の自然数は存在することになります。これをアリストテレスは可能無限と呼びました。これはいくらでも大きな自然数が存在し得るということであって、現実にいくらでも大きな自然数が存在するという意味ではありません。現代の物理学の推定によると、観測可能な全宇宙の素粒子の数が10^80程度です。それより大きな自然数は無意味とも思えます。数える対象が有限であれば、それよりも大きい自然数は無意味に思えます。さらに、素粒子の数が有限なので、どんなに上手く記数法を考えても、有限の範囲の数しか表現できません。ですから、自然数には無限に存在する可能性があるということであって、現実に自然数が無限に存在するわけではありません。このようにアリストテレスによれば、ペアノの公理が保証するのは、存在する可能性であって、存在そのものではないのです。
アリストテレスの可能無限の立場で、我々の認識の基本である時間と空間について検討します。まずは空間につて検討します。最初に考えることは空間とは何であるかですが、空間の大きさは体積で表されますが、その基本となっているのは距離です。この距離を用いて、我々は空間を数値化することが出来ます。現実の空間をユークリッド空間とみなして、デカルト座標を用いれば、空間内のあらゆる地点はx座標y座標z座標で表されます。ここで、x軸y軸z軸が無限に伸びており、空間には果てがないと仮定しても、どの地点でも原点からの距離は有限です。何故ならば、x軸y軸z軸が存在する限り、そこには座標があるはずで、値は当然有限となります。従って、無限に遠い点というのは空間内には存在しない事になります。
次に時間について検討します。時間は無限に続くのか終りがあるのかは不明ですが、終わりが無いと仮定します。この場合も現在原点として座標軸を考えると時間は数値化出来ます。1時間を単位とすれば、未来のあらゆる時点を数値で表すことができるので、未来のどの瞬間においても経過した時間は有限であることが分かります。次に過去についてです。時間には始まりがあったのか無かったのか。アリストテレスの考察は以下の通りです。もしも、時間に始まりが無かったと仮定すると、現在までに無限の時間が経過し終えたことになります。無限の時間が経過祭終えるというのは矛盾ですので、必然的に時間には始まりがあったことになります。こう考えると、無限の時間が経過し終えるというのは有り得ないことが理解出来ます。時間は常に有限の時間しか経過しませんから、有限の時間に有限の時間をプラスしても結果は有限となるのです。これは空間に関しても言えることで、有限の空間に有限の空間をプラスしても有限です。時間と空間のどちらも数値化できるので、どちらも自然数と同型であることが分かります。
これは人間の認識の基本が自然数であるので、通貨としての神経細胞の活動電位で述べたように、人間が時間と空間を自然数を用いて認識するからなのです。そこでペアノの公理に戻って考えると、無限とは無限ループを意味することが分かります。コンピューターで無限を実現しようとすれば、無限ループしかありません。以下に無限ループをなすアルゴリズムを示します。

  1. 1を印刷する。
  2. ステップ1に戻る。

上のアルゴリズムを、コンピューターで実行すれば、いつまでも1を印刷します。しかし、どうしても印刷できる1は有限です。もしも無限の資金があったとしても、地球の資源は有限なので、いつかは紙とインクが無くなります。これが可能無限なのです。

無限ループに対しては、人間は本能的な恐怖を感じます。無限ループの恐怖を表す話として、日本では賽の河原が有名で、西洋にはシーシュポスの神話があります。これらの話は、誰の心にも恐怖心を引き起こします。これは人間には無限ループを避ける本能があるからだと思われます。例えば、犬が自分の尻尾を追いかけて、クルクル回る行動がありますが、これをずっと続けては犬は消耗してしまいます。そのようなことを避けるために、人間には神経系の進化の歴史の中で、無限ループに対する恐怖心が植え付けられたのだと思われます。この恐怖心が無限に対する考察における障害となるのです。

Kazuhiko Kotani について

I am a psychiatrist, and I love mathematics.
カテゴリー: 無限 タグ: , , , , パーマリンク

無限とは何か への3件のフィードバック

  1. [魂]と⦅自然数⦆ より:

     ≪…自然数は全ての生命の認識の基本…≫を、
    西洋数学の成果の6つのシェーマ(符号)の[1]・[0]・[e]・[i]・[∞]・[π]に[オバケ]([妖怪]・[妖精]・[ニンフ])の[役割]の[イメージ](イディア)を観る。

    [1]を、 『わけのわかるちゃん』 
    [0]を  『まとめちゃん』
    [e]を   『わけのわからんちゃん』
    [i]を、  『かどちゃん』
    [∞]を、 『つながりちゃん』
    [π]を、 『ぐるぐるちゃん』
    と[役割分担](イディア)すると、ライプニッツの理性に基づく自然と恩寵の原理のモナドが、[数の言葉](⦅自然数⦆)を『自然比矩形』に「浮上」(同定)してくる。

    [人]の[一生](人生)を、[直交座標]か[極座標]で[生きる](掴む)かで、[視座]は違うが[眺望](パースペクティブ)は[同じ]である[高階述語論理]を手にしたのが、[数の言葉]の⦅自然数⦆と観てよいであろう。

    ⦅自然数⦆の符号(シェーマ)を、有田川町 ALEC発 の「もろはのつるぎ」に観てみよう。

    いいね

  2. 心はすべて数学である より:

    『実数直線』が『幻のマスキングテープ』に生るったとか・・・

    『幻のマスキングテープ』は、
    『かおすのくにのかたなかーど』で・・・

    令和2年5月23日~6月7日 の間だけ
    射水市大島絵本館で・・・

    いいね

コメントを残す